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プロレタリア文化運動の光芒


2023年9月16日(土)―11月25日(土)

開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
観 覧 料 一般300円(団体20名様以上は一人200円)、中学生・高校生100円
休 館 日 日曜・月曜(祝日は開館)・9/19(火)・9/28(木)・10/10(火)・10/26(木)
編集委員 内藤由直・中川成美・村田裕和・林淑美
主  催 公益財団法人 日本近代文学館

 

〈プロレタリア文化運動の光芒〉とは何か?

「プロレタリア文化運動の光芒」と題した本展の意図は、おもに2点ある。1つは、これまでの日本近代文学史において大書されるいわゆる〈プロレタリア文学〉に限定せず、広く文化運動として捉え、世界の藝術運動との同時性を描くこと、2つに、これまでのプロレタリア文学史というと、その期間は普通1922、3年から始まり1933、4年頃まで、つまり関東大震災前後から文化運動組織の解体までとするが、本展は第1次世界大戦前後の世界の藝術革命と連動させることで始め、終りの時期は、1932年以降の転向期から37年のいわゆる日中戦争以後、わずかな例外を除いて、時代に吸収されていく経緯を対象とすることにある。
この間プロレタリア文化運動は様々な曲折があったが、その曲折の時期は戦争の始動の時期と明らかな対応がある。本展はそのことにも着目した。第1部の第1次世界大戦を除いて、プロレタリア文化運動の危機はすべて日本の起こした植民地戦争の重大な画期と対応している。第2部は1928年の、中国大陸への侵略を露わにした山東出兵、第3部は1931年の満洲事変、第4部は日中戦争の全面開戦になった蘆溝橋事件である。これらは権力の暴戻と弾圧の激化の跡でもあった。
おおよそ百年前に始まったこの世界を揺るがせた藝術運動の光芒は、第1次世界大戦と第2次世界大戦の戦間期において輝き消えた。ふたたび人類の危機を迎えている現代の21世紀に生きる私たちが学ぶべきことは何か。今ここに蘇らせ教訓としたい。
本館の創立以来、様々な方々のご厚意で寄贈された社会運動関係の資料にはきわめて貴重なものが多くある。これまであまり展観されてこなかった第1級資料を駆使して構成する。鑑賞なさる方々に、当館所蔵の豊かで希少な資料を列挙しての展示をお眼にかけたい。

(編集委員 林淑美)

 

● 部門構成

第1部 第1次世界大戦前後――世界文学としてのプロレタリア文学 1921-1928

明治維新の幕開けとともに、怒涛のように流れ込んできた西欧近代は、日本の社会構造を根本的に変革した。急激な西欧化はわずか30年足らずで日本を西欧に肩を並べる帝国主義国家へと変貌させたのだ。富国強兵の名のもとに戦われた日清戦争(1894-5)、日露戦争(1904-5)の勝利を経て現出した日本帝国は、それまで日本人が経験したことのない社会矛盾をもたらした。1900年前後、人々はその諸矛盾に対抗して闘いを開始した。マルクスの『共産党宣言』(1848)、そして『資本論』(1867-94)が世界に与えた影響は甚大なものであったが、日本もその例外ではなかった。日本のプロレタリア文化運動は明治社会主義を克服するべく出発した。一方に西欧を中心に巻き起こった未来派、表現主義、ダダイズム等の前衛藝術運動は、既成の表現への批判と抵抗という目的をもって藝術概念の変革を希求した。その藝術革命は同時に社会革命への希求でもあった。日本における高橋新吉、村山知義、萩原恭次郎らの仕事との同時性を示して、大杉栄らの大正アナーキズムとの親近性は明らかである。この2つの潮流は、20世紀初頭に勃発した第1次世界大戦という人類が初めて嘗める世界大規模の総力戦に出会って、新たな流れを導き出した。日本にあっては「種蒔く人」を嚆矢とするプロレタリア文学の目覚ましき登場となった。1920年代、日本は明らかな文化変容を遂げたのだ。

(中川成美)

主な出品資料:堺利彦「共産党宣言之一節訳文」書、大杉栄「死灰の中から」原稿、「劇場の三科」チラシ、ゲオルク・カイザー「朝から夜中まで」プログラム、「種蒔く人」創刊号、有島武郎旧蔵 マルクス『資本論』英訳版 第1巻など

第2部 文藝戦線とナップ 1928-1931

1923(大正12)年発生の関東大震災前後から徐々に藝術革命よりも社会革命が優先されるようになっていく。政治的意見の異なる社会主義作家を集めて1924(大正13)年創刊された「文藝戦線」は、さらに政治性の相違が重視され、最終的に1928(昭和3)年に、いわゆる社会民主主義者を中心にした労農藝術家聯盟とマルクス主義者で構成された全日本無産者藝術聯盟(ナップ)とに分れる。後者は三・一五事件の弾圧を契機にしての結成であった。1925(大正14)年の治安維持法の制定による思想統制の厳格化、1928年の日本帝国の植民地主義的な欲望を表した済南事件(山東出兵)、1931(昭和6)年の中国東北部を植民地化する契機となった満洲事変へとつながっていく時代であった。「戦旗」を創刊したナップ派は以後政治性を優位におく活動に傾いていく。しかし両派ともにすぐれた作品をものした。葉山嘉樹「淫売婦」、徳永直「太陽のない街」、当館が肉筆原稿を寄託されている小林多喜二「蟹工船」、中野重治詩「雨の降る品川駅」などである。特筆するべきこととしてプロレタリア文学は植民地や戦争に材をとった作品が多いことがある。平林たい子「施療室にて」、黒島伝治「渦巻ける烏の群」、「武装せる市街」など。文学・演劇・美術・音楽・映画など藝術諸分野の組織を傘下に持ったナップは、演劇にも力を注ぎ、村山知義・千田是也・土方与志らを中心にした日本プロレタリア演劇同盟の仕事は新劇の歴史の基礎を作った。演劇活動の性格上資料は残りにくいのだが、当館には珍重すべき資料が多くある。美術運動では『無産階級の画家 ゲオルゲ・グロッス』を刊行した柳瀬正夢の仕事も欠かせない。

(内藤由直)

主な出品資料:「文藝戦線」「戦旗」創刊号、葉山嘉樹『淫売婦』書き込み本、小林多喜二「蟹工船」原稿(個人蔵)、黒島伝治『武装せる市街』書き込み本、「左翼劇場パンフレット」1~3号など

第3部 弾圧と運動解体 1931-1934

1928(昭和3)年以降のナップのめざましい活動は、階級闘争の実際的任務を藝術運動が代替するような方向に進み、またナップも率先して政治と藝術との関係を随伴関係として理論化していく。それは1931(昭和6)年11月の日本プロレタリア文化聯盟(略称コップ)への組織改編につながる。しかしこうした方向は国家権力のさらなる弾圧を呼び多くの中心的活動家が投獄された。後に十五年戦争と名づけられる戦争の契機となった満洲事変は、この2ヶ月前に起こされた。戦争の時代はまた厳しい思想統制の時代でもあった。1933(昭和8)年の小林多喜二の警察による虐殺はそれを象徴する。蔵原惟人が主導した政治性を優位におく方針に対する組織内部での創作理論、組織論への反発はコップ結成後表面化する。1933年6月に獄中から公表された佐野学、鍋山貞親「共同被告同志に告ぐる書」は、共産党幹部の転向声明として共産主義者のみならず同伴者的作家たちにも衝撃を与えた。運動の内部崩壊は更に進行し、1934(昭和9)年に入ると作家同盟を始めとしてコップ傘下の同盟が次々と解体の声明を出すにいたった。小林多喜二、貴司山治、中野重治らの作家たちが獄中から家族や同志にあてた手紙は、それ自体が文学が蒙った傷の深さを物語る遺産として今に残されている。

(村田裕和)

主な出品資料:小林多喜二「転形期の人々」断片稿、小林多喜二 鹿地亘宛封緘はがき、中野重治 徳永直宛封緘はがきなど

第4部  転向と模索 1934-

猛烈な弾圧によって多くの幹部が検挙されたコップがほぼ壊滅した1933(昭和8)年以降、これまでの組織論創作論への深刻な反省が始まる。徳永直の「創作方法上の新転換」(1933)、鹿地亘「日本プロレタリア文学運動方向転換のために」(1934)などは大きな反響を呼んだ。獄中で共産主義運動から退くことを約束していわゆる転向し出獄した作家たちは、転向にいたる葛藤を作品化していく。転向小説に村山知義「白夜」(34)、窪川鶴次郎「風雲」(34)、中野重治「村の家」(35)などがある。また、旧プロレタリア作家たちは、33年以降、自らの表現の場を求めて雑誌を次々と創刊する。「文化集団」「行動」「文学評論」「文学案内」「人民文庫」などである。作家たちは敗北の反省として現実に立ち返ろうとし、生産の現場、おもに農村とその生活を舞台とした作品を書くのだが、そうした傾向は、生産力の向上を至上とし〈労働の道徳化〉をイデオロギー的要素とする戦時下の国策に次第に取り込まれていくことになる。〈生産文学〉と呼ばれる一群の作品である。最も〈生産文学〉らしい島木健作の『生活の探求』は、1937年10月の刊行であった。37年7月の蘆溝橋事件をきっかけに日中全面戦争に日本は向う。この年の12月に、これまで共産主義者が対象であった弾圧は社会民主主義者まで及ぼされ、学者ジャーナリストらが一斉に逮捕される人民戦線事件が起こる。日本は以後ただただ戦争に邁進する。しかしそうした暗い時代からでも未来を託せる少数の仕事として、小熊秀雄の詩、中野重治・戸坂潤の評論、葉山嘉樹の日記をあげた。

(林淑美)

主な出品資料:「日本プロレタリア文学運動方向転換のために」、「文化集団」「行動」「文学評論」「文学案内」創刊号、レオ・シェストフ『悲劇の哲学』、島木健作『生活の探求』、小熊秀雄「蹄鉄屋の歌」など

 

 

 

◆図録

990円(税込み) 9月16日より販売予定
当サイト内WEBショップのほか、お電話でもご注文いただけます。
電話 03-3468-4181

●展覧会記念イベント「美術と運動ーープロレタリア美術運動再考」

登壇:五十殿利治(筑波大学名誉教授)
日時:11月3日(金・祝) 14:00~15:30 於:日本近代文学館 講堂
参加費:一般800円、学生500円、維持会・友の会会員600円
※展示観覧料込。維持会・友の会会員の方は当日会員証をご提示ください。

展覧会に関連した記念講演会です。一般の方もご参加いただけます。

※事前予約制。
メールまたはお電話でご予約を受け付けています。
メールの場合proletaria-event☆bungakukan.or.jp(☆を@に代えて)宛に
お名前、お電話番号、お住まいの都道府県、一般か学生か、維持会・友の会会員か をご記入のうえ送信してください。

 

 

同時開催 川端康成が見出した作家たち

鎌倉・二階堂の書斎にて(1937~8年頃)/撮影・松本政利

大正10(1921)年12月に批評「南部氏の作風」が雑誌「新潮」に掲載されて以降、昭和14(1939)年頃までの20~30代の間、川端は膨大な文芸時評を発表し、また昭和10(1935)年の芥川賞創設からは、その選考委員を務めます。そうした中で川端は多くの新人作家を発掘し、その名手とも呼ばれました。

川端が文学的出発の後押しをした作家たちとの交流を紹介します。

*併設の川端康成記念室にて開催。特別展の観覧料(300円)で同時にご覧いただけます。